乱読派の読書メモ

本好きの本好きによる本好きのための読書記録

「砂の女」安倍公房

砂の女(新潮文庫)

 

友人に勧められてはじめて手に取った安倍公房という作家の本。

エグいというかグロいよ、とは貸してくれた方の談。

なるほど、エグい。

 

昆虫採集に出かけた変哲もない男が、砂の中でもがいて暮らす人々が生きる土地へ迷い込んで、その蟻地獄にまんまと捉えられ、外界への希望をだんだんと奪われいつのまにかその土地に順応してしまう。

 

こうして書けばなんとも残酷で単純な話に見えるが、その移り変わりの繊細かつ驚くほど自然なさまは、砂の流れそのものと言えなくもない。

 

読んでいるほうも読み進めていくうちに、人間ってそもそも何のために生きてるんだっけ?どこにいて何のために、いかなる定めに従って生きているんだっけ?どこで生きても、何をして生きても、結局一緒じゃないの?

などと、主人公の男の心情に引っ張られ、いやむしろそれをはるかに越えてヒトという生き物としての生き方や存在意義、価値、その他もろもろをぐるぐるに考えさせられ、どんどんわからなくなる。

 

それらはあるいはもともと正解なんて誰も持ってないことがらなのかもしれないが、自分の今ある場所や拠り所にしていること、明確に思えていた足場や現実が音もなく砂に呑まれて自分の正体すら覚束なくなるような感覚は、不快ですらある。

 

世界で多く翻訳され評価されてるのは非常に納得する。

いわゆる純文学ってカテゴライズでいいんだと思うし、一定以上の評価がされてる文学作品ってのはこういうのが多い感じはあるけど、好みで言えばあまり好きじゃない。

時代背景もそうだけど、なんかこう、鬱展開というか、引きずられ過ぎて生きることへの絶望感が濃くのしかかってきちゃう感じがあって。

影響受けすぎって話なんだけどさ。

 

いまの時代に数多出版されている作品たちは100年後、200年後にはどれが名作と言われて生き残っているんだろう、とか、隠れた名作として作者の死後にめちゃくちゃ評価が高まる作品なんかもすごいたくさんあるんだろうな。

それ以前に、さまざまな媒体手段が発達しすぎたせいで、ただでさえ溺れそうな本の海はもはや陸へたどり着けないほどの無限の空間となって、一瞬生きるわたしたちを飲み込んでいくんだろうな。

そう思うと、この波間で偶然この本を手に取れたことはなにかの縁で、ラッキーだったと。

 

有限の人生であと何冊の本とどういう出会いができるのか、楽しみです。

言いつつぼーっとスマホを眺めてる日々ですけどね!